約1カ月の禁城をして臨んだ今回の遠征
今回は新しいスニーカーと新しい靴下を購入し、意気込んで決行した
朝の6時に起き、新幹線に乗り込んだ
この日の弁当は広島名産、穴子弁当を選んだ
広島の穴子は僕の人生でもかなり印象に残っている食べ物で、ある年は1シーズンに2回も訪れたほどである
いつかまた広島に行き、穴子飯を食べたいと思っている
穴子の話はさておき、新刊線もあっという間に小田原に到着した
禁城をしたにもかかわらず、最初に目に入ったのが豊洲城というのはひとまず置いておこう
小田原城は小田原駅から徒歩10分程度
関東を代表する城の一つである
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[1回]
最初は小田原城の大手門となる、馬出門から入ることにした
橋の下の水堀の水を通す丸い穴が可愛い橋を渡って門をくぐる
この門は言わずもがな、高麗門となり、死角の少ない、新しい門となっている
この門をくぐると桝形に入る
この桝形は少し独特で、馬出門というだけあり、馬出しの端が桝形になっている
よって、桝形に入った正面が水堀となる
本来なら土塀がある場所だが、水堀となることで堀に敵が流れることはなかったのだろうか
と、感じたが、正面の塀から狭間が睨みを利かせていた
水堀の幅は15mといったところだろう
銃や弓矢でじゅうぶんに攻撃を加えられるので、水に入り、スピードダウンした敵を攻撃するのは容易なことだったと想像できる
馬出門をぬけると、銅桝形が見える
銅は、あかがねと読み、字のごとく、銅が赤いためにそう呼ばれるのである
ちなみに、鉄を使った門は鉄門(くろがねもん)と呼ぶことがある
一の門は埋み門(うずみもん)となり、その分周りの壁が高く感じられる
攻撃を加える側にはかなりの高低差ができ、有利に攻撃することができる
桝形に入ると、櫓門が坂の上にそびえる
高低差と櫓門の堂々とした作りにかなり圧倒される
この桝形に入ってしまうと、どんな大軍勢でももはやなす術はなかったと思われる
二の丸は今は公園となり、そこから本丸へは橋をわたる
橋の下は本来水堀があったが、今は水は張られず、歩くことができる
橋の下をくぐり、弁財天曲輪までいけるが、崩れた石垣くらいしか見ることができない笑

本丸に入るところには、常盤木門がそびえる
ここも本来は桝形となり、上の写真の手前の石垣と、その向かいにある石垣の上に矢来門がかかっていた
桝形を取り囲むのは多聞櫓なので、最強の守りである
多聞櫓は、廊下を壁として利用しているようなもので、内部に兵糧や武器、また、兵士の宿泊施設となり、24時間体制での警備も可能な鉄壁の守りである
この桝形もかなりの高低差があり、敵兵からすると、手も足も出ないような印象を与えただろう
この桝形をぬけると、いよいよ天守閣である
ここまでの門や櫓も全てそうだが、長押形で窓の上下を飾り、格式高い様式となっている
層塔形の天守で石落としが出窓になっているのがデザイン的に特徴的な部分となる
また、破風も必要最低限といった感じで、全体にすっきりとしたデザインである
小天守などを作らず、左側から長い階段が続くのも変わっている
小田原城は、復元ではあるが、修復された場所の石垣の積み方など、かなり忠実な再現をされているように感じた
それほど大きなお城ではないが、当時鉄壁と呼ばれたその機構を今でも垣間見れるいい城であった
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