大阪城の一般的な見物ルートは、JR環状線の大阪城公園駅を下車し、搦め手から天守に入る
または、大阪市営地下の谷町四丁目駅下車から、大手門に入り天守を目指す
ほとんどの人が外堀を見ていないのである
前回の記事は
こちら
航空写真で見てわかるように、大阪城は実に大きな城である
大阪城公園駅から入るルートは写真の右上の門から入り、上の細い橋を渡る
谷町四丁目駅からの場合は、写真左の太い橋を渡る
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僕はこれまで、どちらの駅を利用するにしても、まず外堀を観察してきた
しかし、景色のいい南側の堀ばかり見ていた
そこで、今回のテーマは、大阪城を北回りしてみよう!と設定した
まずは谷町四丁目を下車し、大手門へ
大手門と千貫櫓の見える絶好のスポット
大手門に向かう橋のあたりは、記念撮影をする観光客で賑わうが、橋を数メートル外れただけで、僕しかいないような状況となった
やはり外堀は人気がないようである
ちなみに、普段意識したことはなかったが、千貫櫓や大手門の櫓門の下の石垣は、やや丁場がはっきりした石垣となる
丁場によっては綺麗に規格された石を使った打ち込み接ぎの布積み
丁場によっては打ち込み接ぎの乱積みといった感じである
南側が大きな石を使っているのに対して、かなり小さめの石といった印象だった
ちなみに、大阪城は台地を利用した城だが、北側はほぼ平坦な地盤であり、石垣もやや低くなっている
どこかで、大阪城北側の石垣が、平地に築かれた石垣では最高の高さを誇ると聞いたことがある
どこで聞いたのか、全く記憶が定かでないが、、、、
しばらく歩くと、大阪城の南西端にある乾櫓が現れる
このあたりは、左側がほぼ平坦な地面で、この石垣は、盛り土をして築かれたと思われる
南側のような圧倒的な高さはないが、平地に築いたとすれば驚くべき高さである
このあたりは、ところどころに谷積みが見られ、修復されたのか、この丁場を担当した大名の技術が低かったのか、
どちらにせよ、石垣としてのレベルは明らかに劣ってくる
乾櫓は、珍しく、L字型の櫓となる
L字型の櫓を無理やり建てている感じがなんとも不自然で面白い
大阪城の天守は、徳川大阪城の天守のように見えて、実は形式は豊臣大阪城というハイブリッドだが、櫓は全て徳川の形式をとる
この櫓も層塔型で、千鳥破風、石落とし付きの出窓という典型的な徳川様式である
角に建つ櫓に対してこれだけ横矢を掛けるというのも徳川らしいと言える
意地でも角は取られないという構えである
今回は初めて京橋口から入城してみた
京橋口の桝形にもかなりの巨石が置かれている
肥後石と呼ばれるこの石は、大阪城で二番目に大きな石である
桝形に大きな石を置くことは当時のステータスであり、相手を威圧するとともに、権威の象徴であった
ちなみに、一番大きいのは桜門を入ったところにある蛸石
右端に立つガイドさんとの比較でスケール感が伝わるだろう
これだけの巨石は、基本的には四国から運ばれてきたそうだが、どのように運んだのだろう
一説には、この石を運んだ大名は、この石を途中で落としてしまったら切腹すると覚悟し運んだという
今の船、今の重機を使っても大変な作業だと思われるが、昔の人はとんでもない仕事をしてしまうということをスケールで感じさせられる
関西から四国は地盤が花崗岩でできているため、石が多くとれたことは、城作りという観点でかなり有利であった
石垣山城ができるまでは関東には総石垣の城はなかったとも言われている
それにしても、人は、その気になればとんでもないものを後世に残せるのである
現代のもので、500年残るものなんて、そう多くはないはずだ
最後に、本丸西側の算木積みに、戦争の弾丸の跡を見つけた
本丸東側の跡は有名であるが、ここは初めて発見したので嬉しくなってついつい写真を撮ってしまった
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